上下天領ツーリズム

天領上下ツーリズムとは

上下の歴史・文化を世界に発信

往時、世界の銀の1/3を産出していたという石見銀山。産出銀を京や大坂へ送るため、日本海側の海運ルートのほか、陸路で山を越え、備中国笠岡の積み出し港へと至る「銀山街道」も整備されました。
元禄11(1698)年に福山藩・水野家が嗣子の死亡によって断絶し、上下は江戸幕府の直轄地「天領」となりました。元禄13(1700)年には代官所設置され、享保2(1717)年、中津藩(現在の大分県)に2万石割譲。
幕末まで石見銀山大森代官所の出張陣屋が置かれ、隆盛を極めました。幕末から明治維新にかけ、その資金が徳川政権、さらには明治新政権をも支えたと伝えられています。
当地の金融業者の資金力は、やがて地元の福祉、教育の充実を図るためにも使われます。行政に頼らず自らの資金で「蟻集(ぎしゅう)財団」を設立。その活動は平成の時代まで続き、100年の歴史を刻みました。
この町の繁栄の在りし日の記憶は、時代ごとの建造物に、町並みに、そして人々の心の中に、今も宿っています。そんな“ニッポンの宝”を、「上下天領ツーリズム」を通して、世界に発信していきたいと考えています。

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「上下天領ツーリズム」ツアーの様子。日本文化への深い造詣を持つゲストが多数参加。
上下の魅力を再認識できる機会となりました。

「天領」とは

全国天領マップ

「天領」とは、江戸時代における江戸幕府の直轄領のこと。正式には「御料・御領」「御料所」「代官所」など。徳川幕府が軍事的、経済的に重要であると認めた土地を直接治めた領地のことで、代官所や郡代役所、陣屋(出張陣屋)などが置かれ、管理されていました。当時の主要都市であった長崎や大坂、佐渡金山のあった佐渡、湯の花から明礬を生産していた明礬温泉なども天領とされていました。
江戸時代、土地は皇室領や天領、寺社領、大名領などに分かれていました。勝海舟編『吹塵録』所収「天保十三年全国石高内訳」によれば、江戸時代後期の天領は、総石高の14%にあたる420万石を占めたとされています。

天領上下の宝〜歴史町を知るための7つのキーワード


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